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大阪地方裁判所 昭和35年(ワ)4258号 判決 1963年5月10日

原告 谷登代次

被告 坂口利太郎 外二名

主文

原告の請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、原告に対し被告坂口は別紙目録<省略>記載第一の家屋一戸、被告浜口は同目録記載第二の家屋一戸、被告佐野は同目録記載第三の家屋一戸をそれぞれ明渡せ、訴訟費用は被告等の負担とする、との判決を求め、その原因として、

一、原告は戦前から別紙目録記載の地番上に合計一一戸の家屋を所有し、内同目録記載第一の家屋を被告坂口に、同第二の家屋を被告浜口に、同第三の家屋を被告佐野に、その余の家屋を他の人々に賃貸してきた。

二、ところが、右一一戸の建物は建築してから長年月を経過して朽腐の度が甚だしく昭和二九年の風水害には一部が倒壊したので、昭和三一年三月六日、同年六月五日の両度に亘り原告は大阪府建築課、大阪市消防局から人命に危険であるから速に除去するようにとの命令を受けた。しかし、当時の賃借人も移転先がなかつたので、原告が大阪府と協議した結果それ等の者に府営住宅に移住して貰うことに話が決まり、被告等三世帯を除き全部そこに移転し、その移転後の家屋は当局の命に従つて除去した。

三、被告等は当時右話合に応じないまゝで現在に至つているのであるが、監督官庁である大阪市長は原告に対し昭和三二年五月八日被告坂口、同浜口の居住する家屋の除去命令を発し、更に同年同月二〇日同家屋の使用禁止並に除去の命令を発した。そこで、原告は右の命令を被告等に伝へ、この家をこのまゝにしておくことは居住者である被告等に万一のことがあつても、又第三者に危険を与えても困るので早期立退を求めてきたが、被告等はこれに応じてくれない。故に、原告は同人等に対し同三二年六月右事情を理由として賃貸借の解約の申入をなし、その期間は同三三年一月をもつて満了したから、原告は被告等に対し右契約の解除を理由として家屋の明渡を求める。

被告佐野に対し、仮に右明渡の原因が理由のないものとしても、同被告が居住している家屋の構造中に倒壊寸前の古煙突があつて、それが倒壊すると隣接家屋及び住人に対し重大な結果をきたすので、原告は一日も早くこの煙突を除去したいのであるが、それを除去するためには同被告居住の家屋の除去を必要とするので、同家屋の明渡を求める。

と陳述し、被告等の主張を否認した。

被告等訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、原告主張の事実に対し、

第一項は、認める。

第二項中、本件家屋が相当古いこと、及び訴外賃借人等の立退事情は争わない、その余の事実は否認する、

第三項は、否認する、

と答弁し、次いで、

一、被告等が賃借居住している本件家屋は、いずれも建築用材殊に柱の組立が強固で所謂危険家屋ではない。又本件家屋に対しては原告主張のような除去命令は出ていない。昭和三二年五月の除去命令は同じ番地上に在つた訴外沢田熊吉、同洲崎捨吉居住の家屋に対するものである。

二、原告の解約申入は、被告坂口、同浜口に対しては同三五年三月頃、被告佐野に対しては同年四月頃なされたもので、被告坂口、同浜口は同三五年三月分までの賃料を支払い、被告佐野は同三五年二月分までの賃料を支払つている。猶ほ、被告佐野に対する明渡要求理由は、家屋の敷地が売れたから明けて貰い度い、とか、附近に移転先を建てるから移つて貰い度い、と言うのである。

と述べた。

立証<省略>

理由

被告等が原告主張の家屋を原告から賃借し、そこにそれぞれ現住していることは当事者間に争いがなく、そして、原告本人尋問の結果に徴すると、右家屋の各敷地を含む四番地の宅地一帯が原告所有の宅地であることが認められ、右認定に反する証拠がない。

一、家屋除却の行政命令を理由とする解約申入について、

(一)、被告坂口、同浜口に対する関係、

原告は、昭和三一年三月六日、同年六月五日の両度に亘り被告等居住の家屋に対して大阪府建築課、大阪市消防局から除却命令が出た、と主張しているが、原告の全立証に徴してもこれを認めるに足る証拠がなく、たゞ成立に争いのない甲第一、二号証に照らし、右日時に建築基準法に定める特定行政庁たる大阪府知事が被告等居住の家屋の敷地と番地を同じくする訴外奥野武男外五名の訴外人が居住していた原告所有の家屋一棟四戸建に対して除却命令を発令したことが認められるのみである。

けれ共、成立に争いのない甲第三、四号証と原告本人尋問の結果を綜合すると、特定行政庁たる大阪市長が昭和三二年五月八日原告に対し、被告坂口、同浜口の居住する別紙目録記載の第一、第二の家屋は、主要構造部材が著しく腐触し建物全体が傾斜して保安上危険である、との理由で、近く右家屋の使用を廃止して除却する命令を発する予定である旨を通知し、次いで、同庁が原告に対し、右と同一理由のもとに、右家屋の使用禁止及び除却命令を発したことが認められる。被告等は、右の行政処分の対象となつた家屋は、本件家屋と同一番地上に在つた訴外沢田熊吉、同洲崎捨吉等の賃借していた家屋である、と抗争しているが、前掲甲第三、四号証と成立に争いのない乙第一号証を比較してみると、右の行政処分の対象とされている家屋が木造二階建瓦葺一棟二戸建であるのに対し、右訴外人等が賃借居住していた家屋は木造平家一棟二戸建であつたこと、及び原告本人尋問の結果に徴し、右訴外人等の居住していた右家屋は既に除却され、前記行政命令が発令された当時に三丁目四番地上に存在する木造二階建瓦葺一棟二戸建の家屋は現に被告坂口、同浜口の居住する家屋以外に存在しなかつたことが認められるので、被告等の右主張は採用できない。

そこで、賃貸人が右のような行政処分のあつたことを理由として無条件に借家法第一条の二に定める解約の申入ができるかどうかについて考えてみるのに、右法条所定の解約の申入も一つの権利であるから、賃貸人がこれを行使するに当つては、権利行使一般の原則に従い、信義誠実にこれを行使しなければならないこと勿論であるが、それとは別に、もともと賃貸人は賃借人に対して目的物件の使用、収益が恙なく享受できるように賃借権を擁護してやる義務があるから、私人たると公法人たるとを問わず第三者が賃借人の使用、収益を阻止するような行為に及んだときは、その行為を排除するに足る適法な手段があれば、その手段に訴えて右の行為を排除し、或いは、排除できないまでも排除に努めてやる義務があるものと考えられ、その義務を果した後でなければ解約申入権を行使できないものと考える。右行政処分の根拠法である建築基準法(昭二五、五、二四、法第二〇一号)に照らすと、

(イ)、特定行政庁から前記通知書の交付を受けた者は、前掲甲第三号証の末尾にも記載されているように、第一〇条第二項、第九条第三項にもとずいて通知書の交付を受けた日から三日以内に当該行政庁(本件では大阪市長)に対して公開による聴聞を行うことを請求することができることになつていて、聴聞の結果いかんによつては通知書に記載されているような近く発令予定の行政処分(本件では本件家屋の使用禁止及び家屋除却)が発令をみずに済むこともあり得るし、又

(ロ)、特定行政庁の行政処分に不服のある者は第九四条第一、二項にもとずいて処分を受けた日から二〇日以内に当該都道府県の建築審査会に異議の申立ができることになつていて、その申立が理由あれば、行政処分の取消又は変更がなされる、

ことになつているところ、本件において、

前記(イ)の通知書の受交付者は原告であつて、当事者双方の全立証に照らしても右被告両名がこれを受領した形蹟が全然ないから、聴聞を請求することのできる者は原告だけで、右被告両名にはその請求権がないことになる。従つて、このような場合には、賃貸人たる原告が、自ら聴聞開始の請求を申立てる意思があるのなら格別、そうでなければ、早急に賃借人たる右被告両名に対して右の通知書が交付されたことを知らせ、前記請求権を行使するかどうかも協議し、被告等が家屋使用禁止の行政命令に服する旨を明示しない限り、直ちに前記聴聞開始の請求をなし、もつて、賃借人の権利を擁護してやる義務があるものと解されるところ、原告の全立証に徴しても、原告が被告等に対して早急に右通知書が交付されたことを知らせた形蹟も、従つて、右の請求権を行使するかどうかの協議を遂げた形蹟も、固より聴聞を請求した形蹟もないので、原告は賃貸人としての義務をつくしていないことになる。又、

前記(ロ)の異議申立権は、行政処分を受けた原告ばかりでなく、その処分に重大な利害関係を有する右被告両名も有しているものと思われるが、その申立期間は処分を受けた日から二〇日以内でなければならないから、行政処分を受けた原告が被告等に対し早急にその処分のあつたことを知らさなければ、被告等は異議申立権を失うことになるところ、原告の全立証に徴しても、原告が被告等に対して異議申立に必要な期間内に右の行政処分のあつたことを知らせたと認めるに足る証拠がないから、この点についても原告は賃貸人としての義務をつくしていないことになる。

以上述べてきたように、原告は右被告等に対し賃貸人としての義務をつくしていないのであるから、仮令原告が前記行政処分に従わないと処罰されることがあるとしても(第九八条以下参照)、それと被告等に対する義務とは自ら別問題であるから、本件家屋使用禁止及び除却の行政処分のあつたことを理由として右被告両名に対し解約申入権を行使することができないものと解する。従つて、この点に関する原告の主張は採用できない。

(二)、被告佐野に対する関係、

原告の全立証に徴しても、被告佐野の賃借居住している家屋に対し原告主張のごとき行政処分が為されていると認めるに足る証拠がないので、行政処分のあつたことを前提として解約申入をした旨の原告の主張は採用できない。

二、賃貸家屋の朽廃を理由とする解約申入について、

前掲甲第三、四号証と成立に争いのない甲第六号証並びに原告及び被告坂口、同佐野各本人尋問の結果を綜合すると、本件家屋はいずれも建築後長年月を経ているので相当古く、

(イ)、特に、被告坂口、同浜口の居住している家屋は、柱なども傾斜しているようであるが、同被告等が必要な補修費を支出して補強工作を施しているため現在居住に充分堪えられ、前記家屋除却の行政処分の後に来襲した昭和三六年九月の第二室戸台風に遭つた際も右家屋に損傷がなかつたことが認められ、又

(ロ)、被告佐野の居住する家屋は補強工作を要せずして、今猶ほ充分に居住に堪えうることが認められる。

から、右家屋はいずれも未だもつて朽廃の域に達したものとは見受けがたい。従つて、原告の被告等に対する右解約申入の主張は採用できない。

三、被告佐野に対する危険物除去を理由とする解約申入について、

成立に争いのない検甲第二号証と原告及び被告佐野各本人尋問の結果を綜合すると、被告佐野の賃借居住している家屋の庭に、高さが二階建家屋の鴨居に達する程度の古い煙突の残骸が存在することが認められるが、それが現在倒壊する危険あるものとも見受けられないし、それに、その煙突の南側は原告所有の宅地であるから、同被告に右家屋を明渡して貰わなくとも、その煙突を収去することが可能と見受けられるので、原告の同被告に対する右解約申入の主張は採用できない。

以上のような次第であるから、原告の被告等に対する請求はいずれもこれを棄却する。

よつて、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のように判決する。

(裁判官 牧野進)

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